FRYN.

ラジオ、映画、本、音楽、服、食事、外国語学習、など趣味の記録。Twitter : @fryn_you

橋本治『恋愛論(完全版)』読書会感想① 反対意見編

 2019年4月28日(日)開催の猫町倶楽部読書会に参加してきました。

 

課題本は、橋本治恋愛論(完全版)』

恋愛論 完全版 (文庫ぎんが堂)

恋愛論 完全版 (文庫ぎんが堂)

 

 

猫町倶楽部って何、っていう人はこちらを。

www.nekomachi-club.com

 

橋本治は今年亡くなった、評論家・小説家で、桃尻娘シリーズや、桃尻訳の清少納言、などが有名・・・のはずなんだけど、恥ずかしながら、『恋愛論』を読むまで、橋本治の著作は手に取ったことがなかった。今回、読書会の課題本が発表される前にたまたま読了していて、偶然、課題本になることを知って、これは好都合だと思って参加しました。

今回は、このブログで著作を何度か紹介している、AV監督の二村ヒトシさんも参加されるということで、きっと、二村さんの本を読んでいる自分のような人間ばかり集まって、わかる~、なんて共感の嵐になるんだろうなあ、いやだなあ笑、なんて思っていたわけです。ところがふたを開けてみると、意外と皆さんローテンションで(自分のテンションが高まりすぎているだけなんだが)、ほかのグループでも、「共感できない」「わからない」という声が続出したらしい。

 

二村さんの主な著作

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

 

 

 

以下、読書会で聞こえた、乗れないという声。

 

①文体と書き方が読みにくい

これは、わかる。この本自体が「恋愛論」という題名で行われた講演をまとめたものに加筆したものなので、橋本治の口調をできるだけ再現しようとしているせいか、くどいというか、かなり癖があるのは否めない。実際、自分も大学生のとき、挫折したのはそのせいだった。どう読みにくいのかというと、たとえば、冒頭はこんな感じ。

 

昨日、何年ぶりかで自分のセーターっていうものが編み上がりまして、まァ、ホントいったらそんな暇なんか全然ないんですけど―そんなことしてるってことがバレたち袋叩きに遭っちゃうんですけど、まァそんなことどうでもいいか・・・*1

 

・・・これである。ん?セーター?どうでもいい?恋愛「論」という題名からは想像もできない、自由な、ある意味、自分勝手な書き出しに、初めて読んだときは面食らったし、ところどころ入り混じるカタカナも、結構きつい。

 

じゃア一般論で恋愛が語れないのは何故かっていいますと、それは勿論、恋愛というものが非常に個人的なことだからですね。個人的なことだから語りにくい、と。個人的なことだから、一体これは語ってもいいのかどうかってことを考えさせるようなものが恋愛にはある、と。という訳でメンドクサイので、今日は私の初恋の話というのをしてしまおう、と(笑)。しかし私も大胆(笑)。なにが楽しいのか、自分で笑っておりますが―。まァね、実は何回か「初恋の話を」っていうような原稿依頼もあったんですけどね。自分がふっ切れないというか—まァ、一番の理由は恥ずかしいからヤだっていうんですがね、フフフ(笑—恥ずかしがってる)。

 

まァ、色々面倒臭いんですよ、私の話は。という訳でまえおきが多いんですけどね—。*2

 

(笑)とか、フフフとか、橋本治が自分で言っているけど、なんというか、面倒くさいというか、くどい文章だなというのは間違いない。文体もそうだけど、書き方も、エピソードがあっちにいったり、こっちにいったりして、章立てされた自己啓発本みたいなものを期待している人は相当いらだつだろう。書き方と文体に関しては最初にひっかかるところだと確かに思う。自分の場合、ある程度読み進めたところで、この橋本治に慣れたけど、慣れない人にとっては読了はしんどかっただろうね。

 

②女性蔑視が気になる

これも、たしかに分かるなあ、と思う。どうしてかわからないけど、この本を通じて、橋本治は女性に厳しい。自分から見ても、ちょっとそれは言いすぎじゃなかろうか、と思うところもあった。読んでいる間は、女性を焚きつけようとしているのか、と考えていたけど、女性だったらそれがノイズとなってしまうのもわかる気がする。ちなみに読書会参加者からはこんな意見も。

 

 

その他にも、橋本治がゲイなので、競争相手としての女性を強く意識しているのでは、という話も読書会では出ていた。

 

具体的に、橋本治がどのように女性に厳しいかというと、例えばこんな感じ。

 

俺、ここ何年かの間世の中ってものが停滞してた理由っていうのは、女の人が臆病だったからだって、そう思ってるよ。まだ自信がないからって、それで足踏みしてたのかも知れないけど。*3

 

少し説明すると、この文の前で橋本治は要するにこんなことを書いていた。女性は社会に参加する権利を奪われている代わりに、その社会にまつわる「緊張感」から自由な存在だった。しかし女性が社会に進出したことで、女性も男性と同じように緊張感からの自由を失い、ひいては社会も「壊れて」変質してしまった。

 そのうえで、橋本治は、女性は決定的に社会を壊してしまうのが怖いから、足踏みをしていたという。そして、そのせいで、世の中が停滞していたと。たしかに、これは女性に厳しい見方だなあと思う。でも橋本治はさらに続ける。

 

 俺、ちゃんと男に愛されてんだよ。「これ以上強くなったら、もう男に嫌われるだけだわ」っていうのは、やっぱりどっかで、逃げじゃない?

俺って残念ながら、メチャクチャ緊張感高めて仕事してて、「うるさいな、バカヤロォ」って邪魔されたら平気で言って、実にそれでも、男の尊敬と愛情って獲得してキャピキャピしてんのよ。そういうことやってんの?やれてんの?

大体女は怠惰だと思うよ。俺が人から何言われんのかもわかんないことを覚悟でこういうことを始めたのは、何のためだと思ってんの?「ホラ、チャンと立派に愛されてんだから大丈夫だよ」って、それをあんた達に教えたいが為よ。

ホント女ってズルイよね。「だって結局、橋本さんは女に興味がないわけでしょ?」って、その一点で自分の怠惰を回避しようとすんのね。そんなこと言う自分に魅力があんのかよォって、俺は言いたいのね。 ”女” っていう受け入れ体制だけで男を待ってるのなんて、自分を三流の売春婦におとしめてんのとおんなじなんだぜ?*4

 

 厳しいなあ(笑)と思う。女性が、社会に進出することで、今まで立場を失ったり、社会自体が変わってしまうことを恐れてないで、どんどん、前に進まんかい、と橋本治は女性を焚きつける。社会が変わったって、女性が今までのように弱い存在でなくなっても、男性よりも強くなっても、自分に魅力があれば、愛されるんだから、さぼるんじゃない、という。そして、「女」であることだけで、男性が愛してくれるのを待っているのなんて、「売春婦」だとこき下ろす。実に厳しい。

 男性である自分は、これを厳しいエールだと取れないこともないけど、女性から見たら、男性の橋本治にこれを言われるのはフェアじゃないし、カチンとくるかもなあと思う。大分長くなってしまった・・・反論などはこの辺にして、次回以降、橋本治のいいなあと思うところを書いていきたいと思う。

 

(了)

*1:橋本治恋愛論(完全版)』(イーストプレス、2014年)、8

*2:同書、11-10

*3:同書、175

*4:同書、175-176

自分の「心の穴」について考えた

以前、mixi を久しぶりに開いたのをきっかけに、大学時代の自分を振り返る文章を書こうとしたけど、うまくいかなかった。自意識のカタマリみたいだった自分を振り返るはずの文章が、やはり自意識を強く反映してしまって、読み直してしんどかったからだ。結局、その文章はお蔵入りにしてしまったけど、書いているうちに、今まで無意識だったことに気が付いたので、それを書こうと思う。

 

それは、自分の「心の穴」についてだ。心の穴とは、僕も含めて、おそらく相当な数の自意識をこじらせた男女に、甚大な影響を与えたであろう、二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』に出てくるアイデアのことである。

 

 

 自分の心のまんなか、あなた自身の中心に「ぽっかり、穴があいている」のをイメージしてみてください。

 あなたの「生きづらさ」や「さみしさ」、劣等感、不安、嫉妬、憎しみ、罪悪感といった、自分ではコントロールすることができない感情や考えが、その穴から湧いて出てきているのを想像してみてください。

 それが、あなたが埋めようとしている穴です。*1

 

 人は、生まれてから成長するまでの過程で、親から心に穴をあけられる。穴というと、比喩的だけど、癖、みたいなものだ。人間関係や、あらゆる嗜好における、心の癖、それが心の穴。その心の穴は、時として、コンプレックスの根源になっていて、それを埋めるために、人は人を好きになってしまう。しかし、結局他人で、心の穴を埋めることはできないので、恋は破局に終わる。恋を愛に昇華していくには、自分の心の穴と向き合って、「自己受容」する必要がある、というのがこの本の主旨だ。

 

ちなみに、最近読んでいる橋本治恋愛論』にも、これを彷彿とさせる記述がある。

 

・・・実に、他人に好かれたいってことで悩んでるのって、そういう自分が好きになれないからなんだよ。自分が好きになれないから、それを他人に代行させようっていうズルが “恋愛” なんだよ。こんな恋愛、うまく行くわけないのね。

 自分が好きになれない人間ていうのは、その自分を、他人の目から隠すのね。隠して、そしてそれを「見てくれないかなァ」って思うのね。これが “愛されたい” ね。

 でもね、そんなことは無理なんだよ。何故かっていうとね、「愛してほしい」っていうその誘いはね、絶対に「見ないでほしい」を同時にやるからなのね。「見られたい―でも見られたくない」を同時にやるからね。一方で手を引いといて、一方で突っぱねるのね。これをやられたら、絶対に他人は、その人間を愛せないんだよね。

 愛されたいんだったら、自分でその自分を愛さなくちゃいけないんだよ。それをしないでいきなり他人を引っ張り込むから、恋愛っていうのは、永遠に不毛なんだよ。*2

 

恋愛論』については、またどこかで話すとして、多くの人には生育の過程で、心の穴(=心の癖)が形作られていて、それが、嗜好、人間関係、そして恋愛にまで影響を及ぼすということだ。

 

 『どうして~』を読んだとき、自分の心の穴っていったい何だろう、と考えていた。自分は劣等感が強い人間だし、未だに自己受容できているとは言い難いので、自分にも絶対に関わる話だとは思っていたのだけど、この4年間、ずっとそれがわからなかった。でも、例のmixiに端を発した記事を書いていて、わかった気がした。

 

 僕の心の穴は、「誰かを好きになることや、恋愛全般に対する嫌悪感、蔑視感」だと思う。自分の親は教師で、まじめな人だったので、中学から高校の時期(思春期)にかけて、僕に勉強しろと、よく言ってきた。ここまでは、どの親にもある感じだと思う。うちの親が特徴的だったと思うのは、それを良く恋愛やオシャレとセットにして語っていたことだ。たとえば、「見た目ばっかり気にしてちゃらちゃらしてるやつはだめだ」とか、「恋愛にうつつを抜かしているとバカになる」とか、「〇〇高校は男子校から共学になってから偏差値が落ちた」とか、「××高校の女子は化粧ばかりしていてよくない」とか、そういうことだ。

 

 毎日浴びせるようにというわけではないが、折に触れて、そういうことを言われた。そのせいか、自分は服や見た目に興味を持ち始める思春期に、一切そういうことを気にかけなかった。ほかの生徒たちがワックスや腰パンや化粧などで、自己を表現するのに対して、反対に、僕はそれをしないことで、自己を表現しようとした。勉強や部活、ラジオといったサブカルに打ち込むことで、自分のアイデンティティを作り上げていった。

 

 とはいえ、恋愛には興味があったので、津田雅美彼氏彼女の事情』にハマった。『カレカノ』は勉強も部活もできる超優等生が恋愛する話で、(登場人物の見た目以外は)当時の僕にとって、都合のいい物語だったんだと思う。

 

彼氏彼女の事情 1 (花とゆめコミックス)
 

 

・・・で、中学では学年でも上位の成績を収め、部活でも運動部の副部長になり、学級委員長だった僕は、そこそこ、うまくいっていたし、自分のことを受け入れられていた。

 

 しかし、高校受験に失敗したことで、恋愛に背を向けてそれ以外のことに打ち込む自分、という僕の自己像は崩れた。地元の公立進学校を落ちたことは、当時の僕は気づかなかった(というか認めたくなかった)が、やはり相当ショックだったんだろう。

 

 僕は、滑り止めの私立の男子高校に進学した。しかし、この学校は、良く調べもせずに入ったせいで自業自得なんだけど、全く肌に合わなかった。落ち着いた小規模な良い学校だったけど、部活も学校行事もそこそこ、といった感じで、高校生活を満喫したかった(そしてたぶん、彼女が欲しかった)僕には、つまらなかった。しかし、かといって、その学校の中でも部活を強くできるわけでもなく、勉強も一番になれるわけでもない自分に、僕はいら立ちを募らせてた。

 

 ・・・何の話だったか。そう、「恋愛への嫌悪感・蔑視感」という話だった。恋愛をしてるやつはダメだ、という見下し感は、「恋愛はできてないけど学校生活を頑張ってる自分」というアイデンティティがなくなったことで、より複雑になった。「恋愛できていないけど、学校生活も頑張れてなくて、でも恋愛はしたい、ダメな自分」という歪んだ劣等感が形成されたのだ。書いてるだけで、こじれてるなーと思う。もともと、恋愛への嫌悪感も、本当に恋愛に興味がなかったというよりは、自分の見た目や女子とコミュニケーションがうまく取れないことの隠れ蓑だった。そのせいで、自分への肯定感が失われてからは、「見た目も悪く、自信もなくて、コミュ障で、恋愛もできない」という自己嫌悪へと変化した。しかも、当時、自分はTBSラジオの月曜JUNK「伊集院光深夜の馬鹿力」のヘビーリスナーだったので、モテないD.T.の自分というアイデンティティがより一層強まった。

 

D.T.

D.T.

 

 

しかし、伊集院光に罪はない。モテない自分を肯定するためにサブカルに傾倒するなんてありがちすぎる話だし。そういえば、大槻ケンヂグミ・チョコレート・パイン』もこのころ読んだ。

 

グミ・チョコレート・パイン グミ編 (角川文庫)

グミ・チョコレート・パイン グミ編 (角川文庫)

 

 

 こんな感じでうじうじ、燃え残ったゴミみたいな生活を送っていたら、僕は大学受験にも失敗し、一年間、浪人することになった。恋愛もできず、勉強もできないなんて、まさに踏んだり蹴ったりだ。

 

 一年の浪人後、大学に入学したものの、僕は「彼女が欲しい」という気持ちにフタをして、「彼女なんてできない」「だから、むしろいらない」というこじらせた考えのまま、大学生活を過ごした。文系の、女子率が6割を超える学部に所属していたにもかかわらず、全くその利を生かせてなかった。太っていたし(最も太っていたときで102キロあった)見た目に気を使っても無駄、と開き直っていたので、ラグビー部でもないのに、毎日ラガーシャツで学校に通った。大学の授業は前の方の席でまじめに受けていたので、同じ学部の人から「ラガーマン」として有名になっていた(らしい。あとから人にそう聞かされた。)

 

コンプレックスの塊のくせに、見た目なんか気にしない、と開き直っていたころの自分を思い出すから、劇団雌猫『だから私はメイクする 悪友たちの美意識調査』に出てくる、「痩せたくてしかたがない女」の話を読むと泣きそうになる。

 

だから私はメイクする 悪友たちの美意識調査

だから私はメイクする 悪友たちの美意識調査

 

 

彼女たちが身に付けていたもののすべてを、私は今も鮮明に覚えている。私が着られない服。私が「こんなもの私には似合わない」と持てなかったもの。キラキラ、ふわふわ。私はその時初めて、自分が「嫌い」だと思い込んでいたものが、実はそうではなかったかもしれないと気づいた。嫌いだと思い込んで自己防衛していただけだった。*3

 

・・・読んでると涙が出そうになる。この「痩せたくてしかたがない女」には、自分の体験したことのエッセンスが凝縮されている気がしてならない。

 

 話を戻そう。その後、僕は大学で英語を勉強する文化系インカレサークルに入った。他大も含めて女子と交流する機会は多く、女性と全く話せない、ということは無くなったが、やはり恋愛は避けていた。ちなみに、そのサークルでは、英語で社会問題に関して自分の意見を発表する活動もしたんだけど、その題材として自分が選んでいたのが、痴漢、DV、デートDV、などで、今振り返ると、何かテーマが見える。僕は、恋愛や性について語る言葉を持たなかったから、社会問題として(自分から切り離すことで)語ろうとしたんだと思う。恋愛には興味があったけど、コミットできない、怖い、という気持ちでいたと思う。

 

 問題は、恋愛にすごく興味があるのに、恋愛に興味がないようなフリをしているということで、それが今思い出しても、最高に気持ち悪かった。下心って、スマートに出されれば対処できるけど、「あなたには興味ないですけどね~」みたいな言い訳付きで出されたら、相当に困るし、気持ち悪い。僕は、自分の恋愛感情をうまく表現する言葉をもつことを怠ってきた、結果、好きということも言えなくなったし、「好き」ということをうまく相手に表現するのが苦手になった。

 

 大体、モテたいと思った男は(女もそうかもしれないけど)、自分の好意を伝えるために色々な方法を試して、トライ&エラーを繰り返す。その過程で、その技術が洗練されてくるし、何より、相手と自分自身の恋愛感情に、向き合うことが出来るようになっていく(そうじゃない奴もいるが)。結局僕は、大学卒業してから、彼女ができたけど、恋愛を自分のこととして語るのが、未だにどうも苦手だ。親からのメッセージを受け取り、自分自身で作り上げた「心の穴」が、自分の恋愛感情に向き合ったり、それを口に出して語ったりするのを邪魔するから。自分の気持ちを語るのはすごく生々しくて、気持ちが悪い気がして、どうもうまく言葉にできない。ましてや、相手に伝えることもあんまりしたくない。

 

 DVについて調べたとき、男性は感情を言葉にするのが苦手だと、本で読んだ。男性は「男は強くならないといけない」というジェンダー規範を内面化すると、自分の弱い部分を言葉で表現するのが苦手になっていくし、弱みを見せられなくなる。それが、男性がパートナーに暴力をふるって支配することで問題を解決しようとする一因になる。この話を知ったとき、自分はおしゃべりな方だし、つらいってことも言えるし、あまり関係がないかなと思ったけど、とんでもなかった。恋愛っていう、一番根本的なところで、自分は気持ちを表す術を持っていなかったんだ。

 

 感情を表すこととか、感情を受け止めることとか、自分の感情と向き合うことって、本当に大事だと思う。自分の気持ちを「分析」出来たところで、あんまり意味がない。僕だって、ある種の問題として、感情を分析していたけど、それは自分と感情を切り離して、向き合おうとしていなかったからだ。分析も大事だけど、感情をあるがままに、自分の中に湧き出す現象として受け止めないと、あんまり意味がない。ある人のことが好きなんだとしても、そのことに自分が気づけなければ、何も始まらないし、ましてや、その気持ちを相手に伝えることだってできない。

 

今でも、恋愛を自分のこととして語るのも苦手だし、自分の好きだって気持ちを、相手に上手く伝えることもできない。しかしまあ、何とかなると思っている。何より、こんな文章、少し前なら書けなかっただろうし、自分の「心の穴」を受容できるようになってきてると思う。あとは、自分が本当に伝えたい相手が出てくれば、自然と何とかなるんじゃないかあと楽天的に考え(るようにし)ている。

 

願わくば、将来ぼくに子供が出来て、僕の楽しめなかった恋愛を楽しめるようにならんことを。

*1:二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人を好きになるのか」(イーストブックス、2014年)p.54』

*2:橋本治恋愛論』(イーストプレス、2014年)p.171-172

*3:劇団雌猫『だから私はメイクする』(柏書房、2018年)p.114

青木真也『ストロング本能 人生を後悔しない「自分だけのものさし」』

 青木真也『ストロング本能 人生を後悔しない「自分だけのものさし」』

 

 総合格闘家青木真也選手が書いた本を読んだ。自己啓発本の部類に入ると思うが、「本能」という、野生的で身体感覚に基づいたアイデアが、格闘家らしいと思う。「ストロング本能」という粗野で大味に見えるタイトルに反して、とてもロジカルで筋の通った本だった。

 

現在では、かつてよりも会社や、地方公共団体、さらに言えば、国といった今までは潰れないと思われていたものの先行きが不確かになってきた。そこで、そういう大きなものに頼って生きるのを止めて、自分自身のものさしを持って、自分らしく生きた方が幸せになれるんじゃないか。そして、そのものさしになるのが、本能、であるというのがこの本の要旨だと思う。

 

本能というと抽象的だけど、言い換えれば、自分の意志、みたいなものだ。しかし、闇雲に自分の思ったとおりに生きていると、失敗するし、そもそも、自分が何をしたいのか、どうなったら幸せなのか、意識的に把握している人自体が少ない。青木選手は、まず自分の幸せや望む状態を明確にし、それを実現するために、本能にしたがって生きようと提案している。

 

「どれくらい有名になるのか」「どれくらいお金持ちになるのか」の明確な数値目標を設定しないと、つらい状態がずっと続きます。*1

 

地上波のテレビに出ると、爆発的に知名度は高まりますが、消費されるスピードが速まり、飽きられるスピードも速くなります。(中略)僕はなるべく消費されたくないし、カウンターカルチャーみたいに、根付いたら強い、そんな存在になりたいというクリアな意思があります。

それこそが、「ブレない自分だけのものさし」であり、このものさしが、「不安やストレスに負けないメンタル」を作る糧になります。「これでいい」という自分の目標が明確だから、ブレようがないんです。僕のルールはそう決まっている。多くの人はルールがあいまいで、目的がはっきりしていないからブレてしまうんです。*2

 

 

さらに、この本では、本能にしたがって生きること、そして、本能に従うために、自分の本能の精度をあげていく方法が具体的に書かれている。

 

例えば、メンタル面では、自分の精神的な特徴―アガりやすいなど―を把握して、それを受け入れたうえで対策を講じること、自分の考えや感情を紙に書きだし、固定化して整理することで振り回されないようにすること、などが書かれている。特に特徴的だと思ったのが、身体感覚を通じてメンタルに働きかける、という話だった。不安を打ち消すために自分で自分に「大丈夫だ」「俺はやれる」などと話しかけたり(セルフトーク)、周りの人からも大一番の日はポジティブな言葉をかけてもらうように頼んでおく、など、格闘選手ならではの方法だと思った。

 

特に読んでいて、良いなと思ったのは、第2章の最初、「禁止されても「やってしまう衝動」にヒントがある」というところ。青木選手は、やりたいことを見つけるのは難しい、と断ったうえで、やりたくないことをやらされている時にこそ、やりたいことを見つけるきっかけになるという。一旦は警察に就職したものの、役割を押し付けられ、やりたくないことをやらされていて、「自分はやっぱり格闘技がやりたいんだ」と気づいた青木選手の経験が反映された考え方だ。

 

そして、会社などに違和感を覚えて、「辞めたいな」と思ってしまったら、生活の見通しを立てたうえで、とりあえず辞めてしまえばいい、と言う。人間はある環境にいると、つまらないことにも馴れてしまって、アクションを起こす動機がなくなってしまうから。これに対して、「石の上にも三年」みたいな、世の中の処世術は、「慣れて心地よくなるまでやってみろ」ということだ。しかし、青木選手は自分の本能に従え、と言う。かつての処世術とは反対の考え方が本能にしたがって生きる、青木選手の真骨頂だと思った。

 

このようにして、この本では、自分のものさしにしたがって生きること、自分のものさしを作って磨き、その精度を上げていく具体的な方法が他にも多く書かれている。自分の現状に何か疑問を持っている人、自分の考えを持って動けない人には、参考になる一冊だと思う。

 

ところで、この本を読んだときに連想した本があった。

カリスマ教師の心づくり塾 日経プレミアシリーズ

カリスマ教師の心づくり塾 日経プレミアシリーズ

 

 

本気の教育でなければ子どもは変わらない (日経ビジネス人文庫)

本気の教育でなければ子どもは変わらない (日経ビジネス人文庫)

 

 

 

大阪の中学校教師で、荒れた学校を立て直し、陸上部を十三回の全国優勝に導いた、原田隆史さんの本。彼がどのように荒れた学校を立て直したのか、選手を育てていったのか、具体的に書かれている。青木選手の場合は、ブレない本能にしたがって生きろ、というが、原田の方は「ブレない理念」を持って、「自立型人間」になれという。そのために、付箋を使って自分の理念を練り上げたり、日誌で自分の考えを整理したり、ルーティンチェック表を使って生活習慣を作り上げていく方法を提示している。また、メンタルを強くするためのセルフトークの話も出てくる。『ストロング本能』と似た話が、違った切り口から語られていて面白いので、読んでみてもいいと思う。

 

最後に、この本を買ったきっかけについて。実は、自分は青木選手を知ったいたしツイッターもフォローしていたけど、熱心なファンではなく、この本も出ることは知っていたけど、買うつもりはなかった。買ったきっかけは、青木選手のツイートだった。

 

 

このツイートを見たとき、ちょうど自分は新宿の南口にいて、あの青木選手に会える、と思うと何かワクワクした。一方で、少し怖いなという気持ちもあったけど、こんなまたとない機会を逃したくないという気持ちが勝った。さっそく、ルミネのブックファーストに行って、本をすぐに購入、スタバに向かった。ドキドキしながら探すと、スタバの入り口わきのテラス席に青木選手が座っていた。「あの、青木選手ですか・・・?」緊張しながら話しかけると、青木選手はガッと熱い握手をしてくれて、本にサインをくれた。

 

f:id:fryn:20190223222245j:image

 

二言三言、何か話した気もするけど、緊張していて忘れてしまった。最後に「頑張ってください」と言って、もう一度握手して別れた。あの力強い握手は忘れないと思う。また、ツイッターから偶然、この本を買うことになったけど、あのとき思い切ってアクションを起こしてよかった。これからも本能にしたがって、小さなアクションを積み重ねていこうと思った(雑な終わり)

 

(了)

*1:p.40

*2:p.44

「妻が相手をしてくれなかったから性暴行した」のか?

news.livedoor.com

 

フォローしている人に、フェミニズム関連の方が多いので、この事件に関する感想が何度か回ってきた。たとえば、有名なシュナムルさんは、こうツイートしていた。

 

 

この手の性暴力が起きたときに、良く語られる動機(言い訳)が「欲求不満だったから」というもので、今回の被告の動機も、まさにこの類型に当てはまる。シュナムルさんのツイートは、男性の性欲に女性は答えるべきだという被告の歪んだ論理を批判するもので、その通りだと思う。

 

一方で思うのは、被告は本当に欲求不満だったから性犯罪を犯したのか、ということ。犯罪の動機なんて、そもそも、後付けであることも多いと思うし、明確に言語化できるものではないと思う。しかし、「欲求不満」語りには既視感があって、どこか胡散臭いし、リアリティにかける。

 

こういう事件と、「欲求不満」語りを聞くときにいつも思い出す本がある。

それは、『刑事司法とジェンダー』だ。

 

刑事司法とジェンダー

刑事司法とジェンダー

 

 

 この本は、現職警官で4人の女性を強姦した加害者がなぜ、性犯罪に至ったのかを、往復書簡や接見などから明らかにしていく。そして、性暴力加害者の動機が、刑事司法の場において、いかに型にはめられ、加害者が自分の加害性に向き合わなくなっているか、明らかにされる。

 たとえば、取材を通して、この加害者の動機は明らかに性的な欲求ではなく、仕事への重圧や、父親のような人間になりたいという男らしさへの固執にあることが示唆されている。しかし、刑事司法の場においては、警官の取り調べなどの機会を通じて、性的な欲求不足という、わかりやすい動機に歪められてしまうのだ。結果的に、加害者も欲求不満のせいにして、自分の本当の動機や加害者性と向き合わなくて済むようになっている。

 性暴力加害者に焦点を当てた本やルポルタージュはあるけれど、それをジェンダー研究という文脈に置いたことにこの本の独創性があると思う。

 

これと似たような話は二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』にも出てくる。

 本書での、カウンセラー・信田さよ子さんとの対談では、男性の暴力や性犯罪の動機が解明されていないことが言及されてる。信田さんはDV加害者の更生プログラムを運営しているので、そこで男性がどれだけ自分の加害性の原因と向き合おうとしないか、向き合えないかを語っている*1

 

この事件で思い出した本をもう一冊。『男が痴漢になる理由』だ。この本でも、性欲以外の様々な痴漢の原因が述べられている。特に過半数の加害者が痴漢中に勃起していなかったという、聞き取り調査の結果も、性欲だけが性犯罪を引き起こしているわけではないことを示唆している。

男が痴漢になる理由

男が痴漢になる理由

 

  この本が出版されたとき、書店で著者の斎藤章佳さんと、作家の中村うさぎさんのトークショーが開かれた。トークショーの終わりでは、質疑応答の時間があり、そこで、満員電車を解決することを研究されている方が、満員電車を解決すれば、痴漢も解決するはずだ、という話をした際に、恐らく、それはないだろう、と回答されていたのが印象に残った。

 僕もそう思う。研究への熱意は素晴らしいと思うし、満員電車は無くなればいいと思う。満員電車を解決しても、痴漢は根本的には無くならないと思う。そもそも、満員電車じゃなくても痴漢は起きるし、満員電車がなくなったところで、加害者は別のところで、性暴力を働く。

 本当に、性暴力をなくしていくには、加害者側が自分の加害性に向き合う必要がある。この三冊の本は、知りたくない加害者側の経験や、安易な「性欲」という言い訳を加害者与えることで、性犯罪と向き合うことを避けているこの社会が、少しずつでも変わるきっかけになる本だと思う。

 

(了)

*1:二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』(イーストプレス、2014年)266-269)

ミハイル・ブルガーコフ『犬の心臓・運命の卵』

 

犬の心臓・運命の卵 (新潮文庫)

犬の心臓・運命の卵 (新潮文庫)

 

 

読書会の課題本になっていたので、読みました。ミハイル・ブルガーコフ『犬の心臓・運命の卵』。

 

ミハイル・ブルガーコフ(1891~1940)は、父が神学大学の教授という、教養市民層の生まれで、医者だった。しかし、のちに、同じく医者だったアントン・チェーホフのように文学に目覚めて、作家に転身した。代表作には『巨匠マルゲリータ』があり、作品の多くは、反革命的だとされ、発禁処分、戯曲は上映中止になった。しかし、スターリンも、その才能を高く評価しており、上映中止になった劇を、一部の劇場でのみ上映させ、自分も足を運んだ。最終的にブルガーコフがストレスで病を悪化させ、亡くなったときもスターリンの秘書を名乗る人物から彼のアパートに電話があったらしい。*1

 

恥ずかしいことだけど、ブルガーコフについて、これまで1ミリも知らずにいたので、作品も古いし、読み切れるかどうか、心配だった。しかし、読んでみると、思った以上に読みやすく、まるでジャンル映画のようなポップな作品だった。

 

「犬の心臓」は科学者が犬に人間の睾丸と脳下垂体を移植したことで、犬が人間になってしまい、しかも、もとの人間の素行が悪かったから、さあ、大変。犬は、どんどん下品で粗野な人間になっていき、罵詈雑言を並べるわ、女を口説くわ、猫殺しの仕事を見つけてくるわ、で作った科学者の手に負えなくなっていく。どことなく、フランケンシュタインの怪物、を思わせるけど、フランケンシュタインのような重さというか、悲劇性もあまりない。犬人間は粗野で下品で、どこか滑稽だ。生みの親に反抗しつつ、科学者と一緒に同居しているのも(当時の社会事情があるとはいえ)、反抗期の子供みたいだった。

 

「運命の卵」は、科学者が繁殖力を高める生命光線を開発したものの、役人がそれを卵に使ってニワトリを繁殖させようとしたら、間違って届いたアナコンダの卵に使ってしまい、アナコンダが大繁殖、人々を襲いまくるというお話。あらすじを聞いているだけでも、まるでB級映画みたいだ。実際、アナコンダが人を襲うシーンは秀逸で、モンスター映画のワンシーンみたいだった。終わり方の都合のよさも、いさぎよい。章の名前自体に「機械仕掛けの~」と入っているので、作者も意識的にやっていると思う。個人的には、「運命の卵」の、光線をもう一度作ろうとしたけど、同じものは二度と作れなかった、という終わり方が気になっていた。読書会で、光文社元編集長の駒井さんが、科学の肝は再現性であり、その再現性が担保されなかったということは、そこまでの話が全く信用にならない、妄想に近いものだったんじゃないかということを示唆している、と解説をしていて、とても腑に落ちた。

 

(了)

*1:「訳者あとがき」374-377

『キューティ・ブロンド』

 『キューティ・ブロンド』2001年

 

キューティ・ブロンド』を初めて見た。

予想を上回るいい映画だったので、感想を書くことにしました。

 

あらすじ(allcinemaより)

陽気で天然ブロンド美人のエル・ウッズ。大学ではファッション販促を専攻し、成績も優秀で女性社交クラブの会長を務めるほどの人気者。そんなエルがいま何よりも待ち望んでいるのが政治家志望の恋人ワーナーのプロポーズの言葉。しかしある日、ワーナーが切り出したのは別れ話。議員の妻にブロンドはふさわしくないというのが理由。突然のことに動転するエルだったが、ワーナーがハーバードのロー・スクールに進学すると知ると、自分もそこに進みワーナーに認めてもらおうとファイトを燃やし、みごと超難関の試験を突破するのだったが……。

 

陽気なブロンド女性=「美人だけど頭が悪い」というステレオタイプを題材にした映画。原題は "Legally Blonde(法のブロンド)" で、"Legally Blind(法的に盲目)"を文字っている。この映画は知っていて、面白いだろうけど、別に見ないかなあと思っていたのですが、見た結果、思った以上に良い映画でした~!

 

【以下、ネタバレ含む、雑多な感想】

 

登場人物の印象が初めと終わりで変わるのが最高。

 個人的に、むかつくと思ったやつが実は、いいやつだったり、良い人だと思ってた人が、実は悪い人だったり、登場人物の印象が変わる映画は、良い映画だと思う。この映画も、最初はムカつく恋敵だと思ったヴィヴィアンが、エルの共感しあえる仲間になったり、尊敬できる弁護士だと思ってたキャラハン教授が実はセクハラくそオヤジだったりと、最初と最後で印象が変わる。実際の人間も、第一印象の通りなわけはないし、人間の多面性を描いている映画は軒並み、良い映画だと思う。

 

恋敵のヴィヴィアンと主人公のエルが友情で結ばれるのが最高。

 ワーナーの気を惹こうとハーバードに入ったエル。ところが、ワーナーには婚約者が出来ていた!その婚約者がヴィヴィアン。金髪のエルに対して、ヴィヴィアンは黒髪でTHE まじめ って感じの女の子。しかも、最初の授業で予習をしてこなかったエルをばかにするような態度をとったり(エルも悪いが・・・)、予習のためのグループワークにエルを入れなかったり、本当に嫌な奴に見える。

 しかし、がむしゃらに頑張るエルを見て、ヴィヴィアンのエルに対する印象が変わっていき、ついに、あることをきっかけに、二人の間に友情が芽生える。やがて二人は、頭からっぽのボンボン野郎・ワーナーの悪口を言い合うまでの関係になる。

 もともとは、男を奪い合う仲だった二人が、最終的に、そんな男とがどうでもよくなり、友人になる展開が、本当に最高で、親指立ちました。男なんて、介在しなくても女の子はハッピーになれるという、この展開はマジで好みでした。

 

勉強で得た知識+自分らしさ=最強

 この映画は、全体を通じて「女らしさ」に対する批評性を持っている。そもそも、金髪女=バカ、というイメージをひっくり返す映画だし、男のだめさや、セクハラなど、女性に降りかかる問題を取り扱っている。

 しかし、この映画が優れているのは、エルが単に今までの自分らしさ(=おしゃれで、化粧やかわいい犬や服が大好き!)を捨てて、全く違う自分になることを物語の終わりにしていないこと。

 エルは物語の終盤で、キャラハン教授にセクハラを受けて、ショックを受けて弁護士になるのを止めようとする。自分がキャラハンに選ばれたのは、金髪で、胸が大きくて、見た目が良かったからだ、彼女は大学院もやめて、家に帰ろうとする。しかし、ストロムウェル教授に発破をかけられて、エルは「ある色」のスーツを着て、再び法廷に戻ってくる。そして、自分のおしゃれの知識を生かして、被告人の無罪を勝ち取る。

 「ある色」はエルらしさの象徴だと思う。一見正反対に見える、ロースクールで学んだ知識と、エルらしさが合わさることで、エルは本当の自分になる。話がうまくいきすぎるところもあるけど、本来の自分らしさだけでもなく、努力して獲得しただけでもなく、その両方によってこそ、人は自分の資質を十分に開花しうる、というこの展開は大好物なので、最高でした。

 

【エルの卒業スピーチ】

 映画は、ハーバードを卒業するエルの首席スピーチで終わる。これも、映画を観た後だと、胸に響くものがある。長さも短いし、英語学習の音読教材としても最適。


Legally Blonde 2 of 2

 

 

Professor Stromwell:

ストロームウェル教授:

I am, personally, very honored 

とても光栄に思います

to introduce this year's class-elected speaker.

 今年のクラス代表者を紹介することを

After getting off to a quite interesting start / here at Harvard,

とても興味深いスタートを切り / ここ、ハーバードで

she graduates today / with an invitation 

彼女は本日卒業します / 招待を受けて

to join one of Boston's most prestigious law firms.

ボストンで最も威信のある法律事務所の1つへの

I am sure / we are going to see great things / from her. /

きっと / 素晴らしいことを学べるでしょう / 彼女から

Ladies and Gentlemen: Elle Woods.

みなさん、エル・ウッズです


Ms. Woods:

ウッズ:

On our very first day at Harvard,

ハーバードでの最初の日、

a very wise Professor quoted Aristotle:

あるとても博学な教授は、アリストテレスを引用しました

"The law is reason free from passion."

「法は情熱と無縁の理性である」

Well, no offense to Aristotle,

アリストテレスを責める気はありませんが

but in my three years at Harvard

でも、ハーバードでの三年間で

I have come to find that / passion is a key ingredient

気づきました / 情熱は欠かせないものだと

to the study and practice of law -- and of life.

勉学や、法の実践、そして、人生に。

It is with passion, courage of conviction,

情熱と、勇気ある確信、

and strong sense of self / that we take our next steps into the world,

そして、強い自意識によってこそ、/ 私たちは世界への、次の一歩を踏み出すのです。

remembering that first impressions are not always correct.

第一印象がいつも正しいとは限りません。

You must always have faith in people.

いつも人々を信じてください。

And most importantly,

何よりも大切なのは、

you must always have faith in yourself.

 自分自身を信じることです

Congratulations class of 2004 -- we did it!

2004年のみんな、おめでとう。やったわ!

 

 (了)

1月6日(日)猫町読書会UG 菊地成孔『あたしを溺れさせて。そして溺れ死ぬあたしをみていて』

1月6日(日)猫町倶楽部 読書会・新年会(モンスーンカフェ 代官山)

UG課題本『あたしを溺れさせて。そして溺れ死ぬあたしを見ていて』

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エロくておしゃれな課題本。


 

 

以前に感想を書いた菊地成孔の官能小説の読書会に参加してきた。猫町倶楽部と、課題本については、以下を見てください。

www.nekomachi-club.com

fryn.hatenablog.com

 

【18禁・ネタバレ】以下、読書会で出た感想・つぶやき・面白い話の抜粋【閲覧注意】

 

※個人情報保護のため、一部、話を変えてあります。

同じグループだった方、消してほしい所があったら、Twitterを通じて言ってくだされば(一部でなく、この記事全体でも)、消します。

Twitter : @hiro_insidehead

 

 

 

なぜ小説は3.11で終わるのか?

>「事故死の危険性だけが恐怖を忘れさせた」とあるから、葉子が死んだことの暗示?

>主人公は葉子との関係を求めながら、どこかで事故死を望んでいた?

 

3.11は昼だけど、昼から溺死プレイしてていいの?

>ダンと葉子の仕事は夜の仕事だから、出勤前に一発、って感じでは。

 

3.11のとき何してた?

>関西へ旅行 しばらく戻れず

>仕事

>実家へ帰省 しばらく戻れず

>もし、3.11セックスとか、特に不倫とかしてたら、やばい

>旅行で不倫してたら、家族に言い訳できない

 

本のタイトルが長い

>略称は、「ビニ本溺死」

>もしくは、「ビニ本」か「溺死」

>溺死・・・笑

 

新宿が舞台だけど、このホテルは本当にあるのか。

>小説に出てきたホテルはないかも

>ただし、ホテルの西海岸・東海岸は何となくわかる

>車が止めやすいから東海岸

>知らんがな笑

 

恋人に求められたら、どこまでプレイを許せるか?

>溺死プレイ、一回くらいはいいかも

>溺死プレイはきつい、無理っす

>溺れさせる方ならOK

>いや、溺れさせる方は技術がいるから、溺れる方が気楽

>マジで?

 

石原さとみ級(例)の美人で、完璧な恋人にスカトロプレイを求められたらどうする?

>くさいのきつい

>食べるのは無理

>じゃあ食べさせるのは?

>う〇この形状による

 

浣腸はできる?

>オッケーかも

>浣腸は意外と手間がかかる。便を固くするため、水分ぬく必要あり

>浣腸は意外と危険。刺激で気絶することもある(医療的見地)

>そうなったら、どうするの

>横に寝かせて、足をあげさせればオッケー

>お尻に異物を入れるのは危険 救急車を呼ぶケースもあり

>プロステートギア↓使おう

【18禁 閲覧注意】

www.toysheart.co.jp

 

 

どんなプレイも過激化していくし、危ない

>怖い。

>実は、やりつくして面倒になるケースもある

 

性について話さないし、何が変態かわからない

>性犯罪者の家からビデオと制服が押収されたというニュースを見た友人の、「制服くらいは持ってるよなー」の言葉に戦慄

>友達が、同性の子の家に泊まったら求められたので、フ〇ラまで応じた、と気楽に話すのでビックリ

>いい話だ

>うん、すごく、いい話

 

ハプニングバーは色んなハプニングが起きる

>ち〇蹴り選手権、ク〇ニ選手権、フ〇ラ選手権などがある

>フ〇ラ選手権は男女参加して、ち〇こを舐めたが、女性が強かった

>それは、姿は見えてるのか?

>見えている

>それだと、バイアスがかかって不公平

>目隠しなどして、見えなくすべき

>端から見ていて、女性が上手かった

>絶対イカセる男、みたいに、男が上手い場合もある(なんのこっちゃ

 

・・・などなど。

 

プレゼント交換について

番外編ですが、今回は新年会ということで、お年玉、プレゼント交換が行われました。こんな本がありました。

 

那須正幹『ぼくらは海へ』

ぼくらは海へ (文春文庫)

ぼくらは海へ (文春文庫)

 

 

千葉雅也、二村ヒトシ、柴田英里『欲望会議』

欲望会議 「超」ポリコレ宣言

欲望会議 「超」ポリコレ宣言

 

 

バタイユ『太陽肛門』『魔法使いの弟子』『ヒロシマの人々の物語』

太陽肛門

太陽肛門

 
魔法使いの弟子

魔法使いの弟子

 
ヒロシマの人々の物語

ヒロシマの人々の物語

 

 

石丸元章『聖パウラ』+自作の同人誌

tokyokirara.com

 

 江口寿史『stepーEguchi Hisashi Illustration Book』

step ― Eguchi Hisashi Illustration Book ―

step ― Eguchi Hisashi Illustration Book ―

 

 

ちなみに、自分がお年玉に選んだのは・・・

 

こだま『ここは、おしまいの地』

ここは、おしまいの地

ここは、おしまいの地

 

 

去年一番、笑った本。『夫のちんぽが入らない』の方が有名だけど、こっちの方が100倍笑った。5億点です。

 

 

音楽に合わせて、プレゼントを回した結果、僕はバタイユの本をいただきました。装丁がとっても素敵な本です。くださった方、ありがとうございました。

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頂いた本。美しい。

(了)