FRYN.

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橋本治『恋愛論(完全版)』読書会感想① 反対意見編

 2019年4月28日(日)開催の猫町倶楽部読書会に参加してきました。

 

課題本は、橋本治恋愛論(完全版)』

恋愛論 完全版 (文庫ぎんが堂)

恋愛論 完全版 (文庫ぎんが堂)

 

 

猫町倶楽部って何、っていう人はこちらを。

www.nekomachi-club.com

 

橋本治は今年亡くなった、評論家・小説家で、桃尻娘シリーズや、桃尻訳の清少納言、などが有名・・・のはずなんだけど、恥ずかしながら、『恋愛論』を読むまで、橋本治の著作は手に取ったことがなかった。今回、読書会の課題本が発表される前にたまたま読了していて、偶然、課題本になることを知って、これは好都合だと思って参加しました。

今回は、このブログで著作を何度か紹介している、AV監督の二村ヒトシさんも参加されるということで、きっと、二村さんの本を読んでいる自分のような人間ばかり集まって、わかる~、なんて共感の嵐になるんだろうなあ、いやだなあ笑、なんて思っていたわけです。ところがふたを開けてみると、意外と皆さんローテンションで(自分のテンションが高まりすぎているだけなんだが)、ほかのグループでも、「共感できない」「わからない」という声が続出したらしい。

 

二村さんの主な著作

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

 

 

 

以下、読書会で聞こえた、乗れないという声。

 

①文体と書き方が読みにくい

これは、わかる。この本自体が「恋愛論」という題名で行われた講演をまとめたものに加筆したものなので、橋本治の口調をできるだけ再現しようとしているせいか、くどいというか、かなり癖があるのは否めない。実際、自分も大学生のとき、挫折したのはそのせいだった。どう読みにくいのかというと、たとえば、冒頭はこんな感じ。

 

昨日、何年ぶりかで自分のセーターっていうものが編み上がりまして、まァ、ホントいったらそんな暇なんか全然ないんですけど―そんなことしてるってことがバレたち袋叩きに遭っちゃうんですけど、まァそんなことどうでもいいか・・・*1

 

・・・これである。ん?セーター?どうでもいい?恋愛「論」という題名からは想像もできない、自由な、ある意味、自分勝手な書き出しに、初めて読んだときは面食らったし、ところどころ入り混じるカタカナも、結構きつい。

 

じゃア一般論で恋愛が語れないのは何故かっていいますと、それは勿論、恋愛というものが非常に個人的なことだからですね。個人的なことだから語りにくい、と。個人的なことだから、一体これは語ってもいいのかどうかってことを考えさせるようなものが恋愛にはある、と。という訳でメンドクサイので、今日は私の初恋の話というのをしてしまおう、と(笑)。しかし私も大胆(笑)。なにが楽しいのか、自分で笑っておりますが―。まァね、実は何回か「初恋の話を」っていうような原稿依頼もあったんですけどね。自分がふっ切れないというか—まァ、一番の理由は恥ずかしいからヤだっていうんですがね、フフフ(笑—恥ずかしがってる)。

 

まァ、色々面倒臭いんですよ、私の話は。という訳でまえおきが多いんですけどね—。*2

 

(笑)とか、フフフとか、橋本治が自分で言っているけど、なんというか、面倒くさいというか、くどい文章だなというのは間違いない。文体もそうだけど、書き方も、エピソードがあっちにいったり、こっちにいったりして、章立てされた自己啓発本みたいなものを期待している人は相当いらだつだろう。書き方と文体に関しては最初にひっかかるところだと確かに思う。自分の場合、ある程度読み進めたところで、この橋本治に慣れたけど、慣れない人にとっては読了はしんどかっただろうね。

 

②女性蔑視が気になる

これも、たしかに分かるなあ、と思う。どうしてかわからないけど、この本を通じて、橋本治は女性に厳しい。自分から見ても、ちょっとそれは言いすぎじゃなかろうか、と思うところもあった。読んでいる間は、女性を焚きつけようとしているのか、と考えていたけど、女性だったらそれがノイズとなってしまうのもわかる気がする。ちなみに読書会参加者からはこんな意見も。

 

 

その他にも、橋本治がゲイなので、競争相手としての女性を強く意識しているのでは、という話も読書会では出ていた。

 

具体的に、橋本治がどのように女性に厳しいかというと、例えばこんな感じ。

 

俺、ここ何年かの間世の中ってものが停滞してた理由っていうのは、女の人が臆病だったからだって、そう思ってるよ。まだ自信がないからって、それで足踏みしてたのかも知れないけど。*3

 

少し説明すると、この文の前で橋本治は要するにこんなことを書いていた。女性は社会に参加する権利を奪われている代わりに、その社会にまつわる「緊張感」から自由な存在だった。しかし女性が社会に進出したことで、女性も男性と同じように緊張感からの自由を失い、ひいては社会も「壊れて」変質してしまった。

 そのうえで、橋本治は、女性は決定的に社会を壊してしまうのが怖いから、足踏みをしていたという。そして、そのせいで、世の中が停滞していたと。たしかに、これは女性に厳しい見方だなあと思う。でも橋本治はさらに続ける。

 

 俺、ちゃんと男に愛されてんだよ。「これ以上強くなったら、もう男に嫌われるだけだわ」っていうのは、やっぱりどっかで、逃げじゃない?

俺って残念ながら、メチャクチャ緊張感高めて仕事してて、「うるさいな、バカヤロォ」って邪魔されたら平気で言って、実にそれでも、男の尊敬と愛情って獲得してキャピキャピしてんのよ。そういうことやってんの?やれてんの?

大体女は怠惰だと思うよ。俺が人から何言われんのかもわかんないことを覚悟でこういうことを始めたのは、何のためだと思ってんの?「ホラ、チャンと立派に愛されてんだから大丈夫だよ」って、それをあんた達に教えたいが為よ。

ホント女ってズルイよね。「だって結局、橋本さんは女に興味がないわけでしょ?」って、その一点で自分の怠惰を回避しようとすんのね。そんなこと言う自分に魅力があんのかよォって、俺は言いたいのね。 ”女” っていう受け入れ体制だけで男を待ってるのなんて、自分を三流の売春婦におとしめてんのとおんなじなんだぜ?*4

 

 厳しいなあ(笑)と思う。女性が、社会に進出することで、今まで立場を失ったり、社会自体が変わってしまうことを恐れてないで、どんどん、前に進まんかい、と橋本治は女性を焚きつける。社会が変わったって、女性が今までのように弱い存在でなくなっても、男性よりも強くなっても、自分に魅力があれば、愛されるんだから、さぼるんじゃない、という。そして、「女」であることだけで、男性が愛してくれるのを待っているのなんて、「売春婦」だとこき下ろす。実に厳しい。

 男性である自分は、これを厳しいエールだと取れないこともないけど、女性から見たら、男性の橋本治にこれを言われるのはフェアじゃないし、カチンとくるかもなあと思う。大分長くなってしまった・・・反論などはこの辺にして、次回以降、橋本治のいいなあと思うところを書いていきたいと思う。

 

(了)

*1:橋本治恋愛論(完全版)』(イーストプレス、2014年)、8

*2:同書、11-10

*3:同書、175

*4:同書、175-176