FRYN.

ラジオ、映画、本、音楽、服、食事、外国語学習、など趣味の記録。Twitter : @fryn_you

ぼくのマッチングアプリ体験(マッチングまで)

恋バナ収集ユニット「桃山商事」さんが、年末にニコニコ動画で、マッチングアプリをテーマに生放送をしていた。マッチングアプリ経験者の自分としては、待望の放送で、公開放送だったのに飲み会で行けなかったことが、かなり悔やまれた。マッチングアプリ経験者が見たら、共感するところ大なので、ぜひ見てほしい。近日中に、動画が公開されると思う(前半は無料)。

 

桃山商事のチャンネル https://ch.nicovideo.jp/momoyama-shoji

 

マッチングアプリって、人によるけども、結構心を削っていくよなーと思う。桃山商事の生放送でも、たびたび、出てきた話だし、前から考えをまとめておきたいと思っていたので、マッチングアプリについて書きたいと思う。ただ、マッチングアプリ自体や、それを使っている人を批判するつもりはない。たくさんの人に会うには、いい方法だし、アプリで出会った人と結婚した友人もいる。ただ、それは前提としたうえで、自分のアプリ体験をまとめて話したい。

 

その1 マッチングするまでの「つらみ」

 

アプリはマッチングするまでの過程が就活っぽい。映りのいい写真を登録し、年齢、身長、体形、趣味、年収や学歴を記入する、そして、最後に目に留まるような自己PR文 a.k.a. 自己紹介文を考えて、登録する。この辺はエントリーシート(ES)に似ている。

 

情報を登録したら、今度は気になる人を検索して、「いいね」を送る。相手からいいね、が返ってくれば、マッチングが成立して、個人的にやり取りできるようになる(大体、この辺りから、男性は有料)。男性の場合、待っていて沢山の「いいね」が来ることはまずないので、自分から相手を探していいねを送ることになる。女性の場合、自分から送らなくても男性よりは、いいねを集めやすいけど、お眼鏡にかなう人からいいねがくるとは限らない。

 

まず、このマッチングのプロセスがすごい疲れた。

 

自分は断続的に5年くらいアプリをやっていたけど、コツをつかむまで、いいねは一つも来なかったし、マッチングも全くしなかった。俺は、誰からも需要がないのか・・・と思って相当へこんだ。正直、女性は人気会員なら、一日に100近く、いいねをもらうことになるし、一般的な女性会員でも一日に複数のいいねをもらうことも普通だと思うので、いちいち男性を吟味していられないし、そうすると、写真・年収・学歴など、わかりやすい項目で男性をスクリーニングした方が、効率はいい。国公立大学受験のセンター試験や、就活のウェブテストみたいなもんだ。始めた当時、プロフィールも写真も、たいして研究してなかったし、年収1000万円とか、医大・東大卒とか、イケメンとか、わかりやすい「飛び道具」が自分にはなかったので、そりゃ、全くマッチングしなかった。50件くらいいいねして、1件もマッチングしなかったと思う。

 

これがしんどい。年収とか学歴とか身長とか容姿とか、自分をあからさまに値踏みされて、価値をつけられてる感じがして、すごい嫌だった。たまーにマッチングしたとしても、こっちからメッセージを送ったら返ってこなかったり、むこうから、いいね、を送ってきたのに返信がなかったりすることもざらで、それも凹みを助長した。今思えば、複数のいいねを貰う女性にとっては、全部やり取りするのは不可能だし、「自己紹介 → 一通目のメール」の順にスクリーニングするのは「合理的」で悪意もないことは分かるんだけど、当時は、自分を全否定された感じがしてしんどかったのである。しかも、拒否された理由もわからないから、自己否定感は高まる一方であった。

 

桃山商事のワッコさんが語っていた女性側の視点も、新鮮で、女性は女性の地獄があるのだと思った。曰く、すごい変な人(写真から引くくらいのドアップ、プロフィールが自分語り、など)からたくさん「いいね」が来るので、自分はこんな人たちからしか好かれないのか、と思うし、よしんばマッチングしてやりとりできても、やりとりの最中で、相手の男性が無礼だったり、空気よめなかったり、気持ち悪かったりすることも多く、そうすると、自分はこんな変な人と釣り合う存在なんだ、と思ってつらいらしい。男性とは違う辛さだけど、たしかに、それはいやだなあと思う。

 

思うに、この相手や自分の価値が可視化されることの辛さって、エーリッヒ・フロムが『愛するということ』の中で語っていたことに近いと思う

 

愛するということ 新訳版

愛するということ 新訳版

 

 

 

 

いずれにせよ、ふつう、恋心を抱けるような相手は、自分自身と交換可能な範囲の「商品」に限られる。*1

 

このように二人の人間は、自分の交換価値の限界を考慮したうえで、市場で手に入る最良の商品を見つけたと思ったときに、恋に落ちる。*2

 

いまや私たちの性格は、交換と消費に適応している。物質的なものだけでなく精神的なものまでもが、交換と消費の対象になっている。*3

 

 

自分を年収や学歴といった、計測可能な「商品」としてパッケージ化して、それを相手に売り込む、いいねをくれた相手が自分と釣り合うかどうかを値踏みする、そんなことをやっている感覚がマッチングアプリにはあった。それが結構、なんだかなあって感じだった。大学のサークルや授業での出会いでは、そんなあからさまに値踏みされることなんてないし、ある程度、値踏みが行われる合コンでも、そんな面と向かって、「あなたの見た目はいやだ」とか、「あなたは低学歴だ」とか、「あなたは低収入だ」とか言われることはなかった。もちろん、マッチングアプリでも、そういわれてるわけではないんだけど、マッチングの段階ではそれくらいしか判断材料がないし、相手から理由を言われるわけじゃないから、学歴か?収入か?低身長か? と考えてしまってドツボにはまる。そんなこと気にしなきゃいいんだけど、自分はアプリを始めたときは彼女もいなかったので、恋愛に関する自己肯定感も低く、かなりドツボにはまって凹んだ。また、人によっては「恋人の身長は170cm以上の人がいい」みたいなコミュニティ(自分の趣味嗜好を伝えたり、自分と同じ趣味嗜好の人を探すために登録するグループ)に入っていることもあって、そういう場合は、ほぼ直接的にフラれた理由を言われた感じになって、余計に凹むこともあると思う。

 

いずれにせよ、普段は見ないで済んでいる、自分の恋愛における市場価値が、図らずも可視化されてしまうところにアプリの辛さがある。また、自分の持っている隠れた価値基準―たとえば、自分は大卒以上じゃないと結婚したくないと思ってるんだなとか、自分はこういう職業の人とは付き合いたくないんだなとか―に直面させられるのも、結構、おもしろいけど、いや~な感じがした。

 

マッチング後の話につづく。

https://fryn.hatenablog.com/entry/2020/01/03/130939

*1:エーリッヒ・フロム『愛するということ』紀伊国屋書店、1991年、15.

*2:同上

*3:同上、133