FRYN.

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恋をすると気持ち悪くなる人は、どうすればいいのか—橋本治、二村ヒトシ、スピノザ

 恋をすると気持ち悪くなる人、っていうのが一定数いると思う。かく言う自分がそのうちの一人なんだと思うんだけどさ。一体どうすればいいのかって、前から考えていたんだけど、それについてまとめてみました。

 

 恋をするっていうのは、ある人をかっこいい・かわいいと思ってドキドキするとか、優しくされてきゅんとするとか、仕事ができるところを見て憧れるとか、単純にセックスしたいとか、いろいろあると思うんだけど、今回は少し違った恋について考えたい。もちろん、上にあげたような要素がすべてないまぜになっているんだけど。

 

 個人的に、誰かに恋することは、自分の妄想や願望を他人に投影してしまうことだと思う。特にひとめぼれで誰かのことをあっという間に好きになってしまって、いわゆる、恋に落ちてしまうっていうタイプの人にとって、恋はこういうものであるんじゃないか。だって、何も知らない人に対して、ぽ~っとなってしまって、ひどいと、自分の運命の人だと思い込んでしまうって、相当にやばい。笑。そういう場合、たいていは、自分の心の中にある妄想や願望を相手に被せて、相手の中に光を見出してしまっていることが多い。

 

 願望・妄想は、何でもいいんだけど、無意識にその人が変わりたいと思っていることや、劣等感を覚えいていること、不安に感じていること、を変えてくれる、埋めてくれる、消してくれる、っていう望みね。そういう望みを無意識に持っている人にとって、目の前を通りかかった人が、それをかなえてくれそうだと考えてしまうことが恋なんじゃなかろうか。ちなみに、これには元ネタがあって、一つは二村ヒトシの「心の穴」ですね。

 

 自分の心のまんなか、あなた自身の中心に「ぽっかり、穴があいている」のをイメージしてみてください。

 あなたの「生きづらさ」や「さみしさ」、劣等感、不安、嫉妬、憎しみ、罪悪感といった、自分ではコントロールすることができない感情や考えが、その穴から湧いて出てきているのを想像してみてください。

 

 それがあなたの埋めようとしている穴です。

 

「恋人ができれば、この『さみしさ』から解放されるんじゃないか」

「誰かが愛してくれれば、コンプレックスを意識しないですむのに」

「あの人と結ばれれば、私は『なりたい自分』になれるかも」

 

心のどこかでそう思いながら恋をしているとしたら、あなたは自分心の穴を忘れたくて、恋の相手の存在を穴の中に詰め込もうとしているのです。*1

 

 この本を読んだのはだいぶ前なんだけど、今読んでも、ここの記述は光っているなあと思う。すごくハッとさせられるし、心の柔らかい部分に触れてくる。ちなみに、手元にあるこの本には「」の部分に線が引いてあって、「男にもありそう」と書いてある。お前のことだからー、って昔の自分に言ってやりたいですね。

 

 ちなみに、この感覚を全く分からないという人も一定数いて、友達にもそういう人がいる。女友達の一人が、あまりにも俺がこの本の話をするものだから、買ってみて読んだんだけど、少しもピンとこなかったらしい。その子には買う前に、きっとあなたは全く共感できないと思うよ、と言っていたんだけど、案の定、そうだったわけだ。そういう人は、この本が言うところの「自己受容」が出来ているというか、自分の劣等感をあるがままに受けいれて白旗上げちゃってるというか、悩んでも仕方がない、みたいに思っている節がある。もちろん、そういう人にも劣等感はあるんだけど、必要以上に振り回されないというか、最終的に自分を受け入れていて、自分が気持ち悪いっていう不安感や、このままじゃだめだみたいな罪悪感が薄い。すごくいいなーと思う。憧れる。

 

もう一つの元ネタは、橋本治恋愛論』。恋愛論にもこんな記述が出てくる。

 

恋に落ちたら、その瞬間、その人間の周りは暗黒に包まれる—御当人達は光の中にいるもんだからそんなこと気がつきゃしないけども、それは、分かる人間には分かる。「あ、そうなの。あなたがこことは別の世界の人間と、そんなにも激しい恋に落ちなければいけない理由っていうのが、私のいるこの世界にあるっていう訳?」っていう、そういう感情が、自分の親しい人間に恋に落ちられてしまった人間の "怒り" に近いような感情の正体なのね。*2

 

恋愛とは光である、という話の元ネタ。自分と自分を含めた周囲が闇であるからこそ、光に見える人のことが好きになってしまうという。米津玄師の「Lemon」にも、「今でもあなたは私の光」って歌詞が出てくるけど、この歌詞を聞いたときは、おっ、って思った。

 


米津玄師 MV「Lemon」

 

それ以外に、こんな記述も。

 

 実に、他人に好かれたいってことで悩んでるのって、そういう自分が好きになれないからなんだよ。こんな恋愛、うまく行く訳ないのね。

 自分が好きになれない人間ていうのは、その自分を、他人の目から隠すのね。隠して、そしてそれを「見てくれないかなァ」って思うのね。これが "愛されたい" ね。

 でもね、そんなこと、無理なんだよ。何故かっていうとね、「愛してほしい」っていうその誘いはね、絶対に「見ないでほしい」を同時にやるからね。一方で手を引いといて、一方で突っぱねるのね。これやられたら、絶対に他人は、その人間を愛せないんだよね。

 愛されたいんだったら、自分でその自分を愛さなくちゃいけないんだよ、それをしないでいきなり他人を引っ張り込むから、恋愛っていうのは、永遠に不毛なんだよ。*3

 

 先にあげた、二村ヒトシさんは本の元ネタとして、『恋愛論』を挙げているんだけど、ここの記述なんて、まさに『なぜ愛』のアーキタイプ(原型)だなあと強く思う。自分を受容できていなくてしんどいから、他人に受容してもらおうとする。でも一方で、自分自身が嫌いだから、その嫌いな自分を相手に見せることが出来ない。よしんば、相手が自分を受け入れてくれたとしても、嫌いな自分を、受容した相手のことも嫌になってくる・・・みたいな。橋本治が言おうとしている、愛してほしいと見ないでほしいを同時にやるっていうのは、たぶん、そういうことだ。

 

 恋愛をすると気持ち悪くなる人っていうのは、この辺に原因があるんじゃないかと思う。誰かのことをいいなあ、と思っても、自分に不安があるから、相手に嫌われてないか、自意識過剰になって独り相撲をしてしまう。SNSのメッセージを必要以上に推敲したり、送るタイミングを過剰に気にしたり、頼まれてもいないことまで先回りしてやっちゃったり、その結果、相手から引かれて、さらに落ち込んだり・・・。気遣いは大事で必要だし、気が利くっていうのは美徳だけど、それが過剰になると、相手には重いし、こっちがやっていてしんどいことは、やっぱりやらない方がいい。

 

 実際、上に書いたようなことは、別にみんな多かれ少なかれ経験していることだし、自意識過剰にならない人なんていない。それでも、やっぱり、毎回、毎回、自意識過剰になって、しんどくなって、相手との関係がうまくいかないのも、考えものだ。たしかに、人間に相性ってものがあるし、合わない人も当然いるだろうけど、かといって、いつも同じような失敗をしているとしたら、何かそこには原因があると思う。

 

 これは完全に、個人的な見解なんだけど、気持悪くなる理由の一つは、「相手へのうしろめたさ」じゃないだろうか。相手に負担をかけている、迷惑をかけている、不快な思いをさせてるんじゃないか、そういう相手への「うしろめたさ」が、人をどんどん自意識過剰にさせ、気持ばかり先回りして動く、重くて気持ちの悪い状態にしてしまう。「うしろめたい」でも「嫌われたくない」、この二つが同時にあるから、思考は回るけど、全く動けない、空回り状態になってしまう。

 

 なんで、大きな迷惑をかけたわけでもないのに、後ろめたいんだろうか。たぶん、根底にあるのは、自分みたいな人間が好きになってしまったことが、相手にとって申し訳なく、後ろめたい、ということだろう。もはやここまで行くと、後ろめたさというよりも、罪悪感と言い換えた方がよさそうですらある。ここまで来て、読んでいる人は気づくと思うんだけど、これって、結局、さっき話した橋本治の「自分が愛せない」問題へと帰結していく。やっぱり、根底には自分自身(大げさに言えば自分という存在)を受け入れられない問題があるということか。

 

 ちなみに、ここまで深刻じゃないにしても、自分のことは嫌いじゃないけど、相手に拒絶されるのが怖くて、単純に自分を開示できないというタイプもあると思う。こういう人の場合は、自己受容が出来ていないというよりかは、自分を見せるのが恥ずかしい、拒絶されると傷つくからいやだ、というタイプ。前にあげた方ほどではないにしても、やっぱり、自意識過剰になるから、はたから見てると気持ち悪くなる。

 

 ここまで書いておいてなんだけど、じゃあどうすればいいのか、っていうのは、申し訳ないけど、皆目見当がつかない。そもそも、根本的には自己受容できればいいと思うんだけど、この問題はデカすぎるし、個人によって状況も違うから、どうやったらいいのか分からない。ただ、一つ思うのは、自分を許してやることじゃないかと思う。「自分はだめだ」っていう劣等感は人それぞれ少なからず持ってるものだし、それ自体は悪いことではない。問題なのは、劣等感を抱えている自分が嫌いになったり、劣等感を覚えたときに必要以上に自己嫌悪してしまうことだ。

 

 いい加減、もう自分を許してやりたい。そりゃ、今の自分は、理想の自分とはかけ離れた存在なのかもしれないけど、そんなに際限なく、追及する必要もない。そして、自分が許せないというのは、自分に自信がないわりに、自分への要求・期待が大きすぎる証拠でもある。だって、自分に期待していなければ、出来ない自分に落ち込むことはない。いい加減、ダメさも含めた等身大の自分を見つめた方がいいし、かなわない理想を握りしめて意固地になるのもやめてあげたい。*4

 

 とはいえ、自分を許せ、受け入れろなんて言っても難しいですよね。そこで考え方のヒントになると思うのが、哲学者スピノザだ。「100 de 名著」でも話題になった『エチカ』の中で、スピノザはこんなことを言っている。

 

人間は自分たちを自由であると思うがゆえに、ほかの事物に対してもよりも相互に対してより大きな愛あるいは憎しみを抱き合う。*5

 

スピノザによれば、人間は自分の自由意思に基づいて行動していると考えているが、それは幻想で、人間は自分の行動を意識してはいるけど、その行動の原因を知っているわけではない。すべての人間は自由意思に基づいて行動しているわけではなく、脳内の記憶や感情、連想など様々な要素が絡み合って行動している。それなのに、自分も、相手も、自由意思で行動しているものだと思うから許せない、受け入れられない。

 

 また、人には「感情の模倣」という性質があり、人が自分と同じ自由意思で動く存在だと考えるから、その人の感情や欲望をあたかも自分のものだと考えてしまいがちである*6 。これって、SNSのことを考えるとよくわかる。Twitterで流れてきた自分の考えに似たツイートに簡単に共鳴してしまったり、FBやInstagramで流れてきた他人の欲望に感化されて、自分も欲しくなったり、持っている人をねたんでしまったり、持っていない自分に落ち込んでしまったり。そりゃ、自己受容なんてできるわけない。

 

 そこで、スピノザの提案は、自分の感情をある種の自然現象として理解するということだ*7。自分の内部に、劣等感やうしろめたさが浮かんできたとき、こんなこと考えてる自分はだめだ、と思う必要はない。だって、それは自分の自由意思ではなく、ある種の自然現象のように、いろいろな身体の状態によって作り出されたものなのだから・・・なんていう風に理解してみる。こんな風に考えても、いやな気持は無くならないかもしれないけど、少なくとも、その感情に振り回されることはなくなる*8

 

 好きな人を前に緊張しちゃったり、後ろめたくなったり、劣等感を抱いたり、自意識過剰になっている時は、そんな自分を自然現象として見つめてみる。また、自分はこうなっているなあ、と考えてみることなら、出来ると思う。そして、出来れば自分がどういうときに、どんな気持ちになるのか、どんな人にどんな感情を刺激されるのかを知っておくことが出来れば、もっと良いと思う。そうなれば、一定の刺激に、常に一定の反応をしてしてしまう「自動機械」になるのを避けられるはず*9

 

 そして、そもそも論として、自分の劣等感や後ろめたさを刺激されるような人とは、恋愛しなくてもいいんじゃないか、という考えもある。自分の妄想や願望を刺激され、そこに投影してしまうような人は、すごく魅力的だし、一緒にいればドキドキするから、この人と付き合いたい、って思うのも分かるんだけど、その人と付き合っても、そもそも、あなたは幸せなんですかねえ、って話だ。

 

 しかしまあ、ドキドキするような人と付き合いたくなる気持ちはわかるし、そうじゃない人と付き合えるかっていえば、まあ難しいよなあとも思うんだけど。何の魅力も感じない人と、「妥協」して、とりあえず付き合うっていうのも、高慢だし、不誠実だ。そもそも、付き合えるのかどうかすらもわからない。ただしかし、毎回毎回、同じようなタイプと付き合って、破局して、恋愛で痛い目見る人は、そもそも、その人と付き合って幸せなのかどうか、は考えてみてもいいかもしれない(難しいのはわかるけどね・・・)。

 

大分長くなったけど、一部の人が恋をすると気持ち悪くなる理由、気持悪くならないようにするには、どうすればいいのか、まとめてみました。最後はスピノザまで引っ張ってくることになりましたが。何かの役に立てば幸いです~。

 

(了)

 

スピノザについてはこちら

 『エチカ』は本当難しかったです。読書会じゃなければ、読み終われなかったと思う。

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

 

 

エチカ―倫理学 (下) (岩波文庫)

エチカ―倫理学 (下) (岩波文庫)

 

 

哲学者・國分功一郎による『エチカ』の解説書。この解説書だけでも、読む価値あり。

スピノザ『エチカ』 2018年12月 (100分 de 名著)
 

 

 今回引用した解説書。100 de 名著の方とは、また違った点に着目していて面白い。

スピノザの世界―神あるいは自然 (講談社現代新書)

スピノザの世界―神あるいは自然 (講談社現代新書)

 

 

*1:二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』(イースト・プレス、2014年)54-55。

*2:橋本治恋愛論(完全版)』(イースト・プレス、2014年)119。

*3:同書、171-172。

*4:しかし、親や周囲の期待に応えられなくて、自己評価が低い場合もあって、こっちの方はもっと複雑だと思う。ただ、期待に応えられなくて周囲が自分を責めるのかもしれないが、最終的に、自分も自分を責めているので、少なくとも自分だけでも、自分を許してやりたい

*5:スピノザ『エチカ』第3部定理49の備考

*6:同上

*7:『エチカ』第5部定理3、4およびその参考、上野修スピノザの世界—神あるいは自然』(講談社現代新書、2005年)146-48

*8:ちなみにこれって、ものすごい理屈っぽい考え方で、橋本治恋愛論』で書かれていたことと、矛盾するようにも思えるけど、そうではなく、陶酔状態と理屈の間を行ったり来たりできることが大切なんだと思う。

*9:社会学者の宮台真司がいう「言葉の自動機械」っていうのはこういうことか。