FRYN.

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橋本治『恋愛論(完全版)』読書会感想② 陶酔能力編

2019年4月28日(日)猫町倶楽部読書会 橋本治恋愛論』に参加してきたので、その感想を書きたいと思います。

 

恋愛論 完全版 (文庫ぎんが堂)

恋愛論 完全版 (文庫ぎんが堂)

 

 

 

その①はこちら。

fryn.hatenablog.com

 

猫町倶楽部についてはこちら。

www.nekomachi-club.com

 

 その①の感想でも書いたと思うけど、橋本治恋愛論(完全版)』を読んで集まるとなれば、きっと自分みたいに自意識拗らせて恋愛について考えすぎた人が、「わかるわかる」の大合唱かなあ、いやだなあ(笑)、と思っていたらそうじゃなかった。

 

 大まかに分けて、文体と書き方のせいで読みにくい、女性蔑視を感じていやだ、という主に二つの反対意見があって、それについては前回書いたので、今回は、自分のグループで出た話や、個人的に『恋愛論』が自分に刺さったところを紹介していきたいと思う。ただ、自分がいいなあと思ったところすべて取り上げていくと、まったくもってきりがないんで、いくつか絞って紹介しようと思います。今回は「陶酔能力」について。

 

 橋本治は恋愛に必要なのは「陶酔能力」だという。

 

恋愛に必要なものっていうのは、実は "陶酔能力" なんですね。*1

 

話は前に戻りますけど、恋愛に必要なのは陶酔能力だっていう話ね。人間ていうのは普段社会生活っていうのを営んでてて、それが為にガードっていうものは必要なもんなんだけど、陶酔能力っていうのは、それとは真っ向から対立して、相容れないもんだからね。普通の生活の中で人間が突然ドロドロに溶けちゃったら困ったことになるけど、陶酔能力っていうものはそういうもんだもんね。*2

 

  陶酔能力とは何か。引用した橋本治の記述だけを読むと、何かやばいものみたいな感じがするけど、要するに、自分と相手との関係に感情的に没入できるかっていうことだと思う。たとえば、好きな人と二人で一緒にいるとき、好きっていう気持ちにブレーキをかけるような、もう一人の自分が、頭の上の方から見てる、みたいなことありませんかね。自分の好きな人が、自分に好意を見せてくれた(ように見える)時、いや待て落ち着け、これは別に自分だけにやってるわけじゃないんだ、落ち着け、ってツッコミをいれちゃったり。セックスしてるとき、恥ずかしいって気持ちから、冷静に今の状況を見てしまって声を出さなかったり相手の目をみなかったり。そういう、冷静で理性的な意識をシャットダウンして、今目の前にいる人との関係に没入できる力を、陶酔能力って言っているんだと思う。

 

 自分がどうかっていえば、恋愛が本当に苦手なんだけど、まあ、陶酔能力ないなあと思う。前に記事にも書いたけど、そもそも人を好きになるってことにブレーキをかけていたし、人のことを好きになると、なんで自分はこの人のことが好きなのか、って頭で考え出して、好きって気持ちが走り出さないように抑えるのに必死だったのをよく覚えている。しかも、そのときの自分は、理性的な俺かっこいい、くらいに思って自分をだましてたので、それはまあ恋愛できませんよねっていう。橋本治に言わせれば、そういう理屈っぽいだけの人は陶酔能力がないんだろう。

 

ちなみに「前の記事」はこちら

fryn.hatenablog.com

 

 実際、橋本治はこんなことを書いている。

 

不思議なんだけど、世の中には、論理とか理屈っていうものに感動して、ドラマには全然反応できない人っていうのがいるのね。俺なんか、感動するということはそこにドラマを発見することなんだと思ってるからサ、こういう人に会うと困っちゃう。全部理詰めで説明しなくちゃいけないから疲れちゃうんだよね。*3

 

 ここで出てくるドラマとは、月9のテレビドラマのことじゃなくて、物語くらいのことだろう。実は、橋本治もこの本の中でドラマが何か、明確に定義しているわけではないんだけど、橋本治がいうドラマを発見するっていうのは、おそらく、身の回りの出来事、特にここにおいて恋愛に関して、自分の心が動くような感動的な物語をそこに見いだせるかどうか、ということだと思う。

 

 橋本治は、感動について、理屈っぽい人・ドラマが苦手な人というのがいて、そういう人はそもそも、感動することが苦手なのだという。感動することは、得体のしれない感情に任せて、自分自身を無防備にさらけ出してしまうことだから。そしてさらに、感動が苦手な人は、それを一人で持ちこたえられないから、やたらと人とそれを共有しようとする、という。*4

 

感動したら、必ずそれを文章に綴ってみないと気がおさまらない人とかね。感動した自分の気持ちを素直に文章に綴れないでいるそのことをさして「ああ、自分はダメな人間だ・・・・・・」って思ったりサ、それを克服する為にカルチャー教室に通ったりとかサ、ホントに学校教育の鑑みたいな人っているんだよね。

 

"感動を文章に書き記しておきたい!" も "恋多き女" も、実は同じもんなのね。どっちも自分一人で感動を持ちこたえられてらんないていう点でおんなじね

 

もうお分かりかもしれませんが、実はこういう人達のことを、私なんかは「陶酔能力がない」っていうんですね。*5

 

 全く、自分に当てはまりすぎて耳が痛い。もちろん、文章を書く人全員にこれが当てはまるわけじゃないし、理屈っぽい人でも、陶酔能力があって恋愛が得意な人もいる。しかし、自分に関して言えば、完全に「感動を文章に書き記しておきたい」タイプの人間だと思う。このブログもそうだし。

 

 より大胆に、話を発展させて考えると、感動を文章に書き記しておきたい人、っていうのには、今を生きているほとんどの人に当てはまることなんじゃないかとすら思う。というのも、今の時代、TwitterとかFacebookとかで自分の読んだ本や見た映画の感想を投稿したり、自分の恋愛の悩みをつぶやいたりして、人と自分の感情や考えを共有しようとするじゃないですか。あれって、橋本治に言わせると、自分一人で感動を持ちこたえられない人ってことになんじゃないかと、そう思う。

 

 まず、感動を文字に起こすことって別に悪いことじゃないと思うんだけど、文字に起こすことで、自分を客観的に見ることになると思う。別に、SNSに投稿しなかったとしても、自分で自分の感情や考えを書き起こすことってあるじゃないですか。自分の中にあるもやもやした感情、それを文字に起こして目に見える形にすることで、もともとあった感情とは別のものになる感じはすると思う。

 

 つぎに、たぶん、こっちの方が重要だと思うんだけど、自分の感情を共有して、共感をしてもらうことに、今のSNSを使っている人は(すくなくとも自分は)慣れすぎてしまっていると思う。何か楽しいこと、嬉しいこと、怒ったこと、悲しいこと、辛かったことをSNSに投稿して、人から反応をもらうことを日常的にやってしまっている。それはまあ、確かに楽しいし、周りから承認されている気がするし、気が楽なんだけど、自分一人で感情を感じ切って、向き合うことが苦手になっている。

 

 そうなると、どうなるかっていうと、結局、他人に依存してしまうことになる。橋本治的に言えば、感動を持ちこたえる力がないから、自分の感動をすぐ人に手渡してしまうし、永遠に他人への依頼心から手を切ることが出来ない*6宮台真司もそういえば言っていたけど、性や恋愛はもともと、法の外にあるもので、反社会的なものだ*7 そういうものを持ちこたえる応える力がないと、恋愛には向いていないのかもしれない。

 

陶酔能力っていうのはやっぱり、それを一人で持ちこたえられるかどうかっていうところがすごく大きいと思うね。前に「恋愛するっていうことは、実は感性的な成熟ってものが必要なんだ」ってことは言ったけど、感性が成熟したればこそ、感動とか陶酔とかっていう、言ってみれば社会的には自分をあやうくしちゃうものを自分の内部で持ちこたえることが出来るんだよね。そういうことが分かんない人間は恋愛なんてものをしない方がいいし、破局の数だけをコレクションしてればいいんだと思うの。*8

 

・・・本当に耳が痛い。まとめると、まず、自分の中にある相手を「好き」っていう感情に没入して向き合える力、これが陶酔能力。理屈っぽい人は陶酔能力がなく、恋愛に向いていない。さらに、その感情を一人で持ちこたえられるかどうかが重要で、やたらめったら人とそれを共有しようとする人も、他人に依存してしまうタイプで、恋愛に向いていない、ということになるだろうか。これだと、最近の人のほとんどは恋愛に向いてないってことになるような気がする・・・。

 

 長くなってきたんで、そろそろ、終わりにするけど、恋愛に関して感情に向き合わないことを推奨するグループもいて、個人的に少し前に話題になった「恋愛工学」のグループはそこに当てはまると思う。恋愛工学に関しては、ここでは書ききれないけど、簡単に言うと、美女とセックスするための技術、みたいなもん。・・・で、その中にとにかく、断られたことを気にせずに女性に声をかけまくれとか、あえて女性をディスることで感情を揺さぶれ、みたいな話が出てくるんだけど、要するにそれって、自分の中にある「好き」とか「恥ずかしい」とか「傷ついた」とか、そういう感情と向き合わずに、相手をいかに感情的に操作するかっていうテクニックで、橋本治的な恋愛観とは全く逆だなあと思う。

 

※恋愛工学について以下の記事がおもしろいです

mess-y.com

 

 僕個人はどっち派なのかというと、断然、橋本治派です。というのも、感情と向き合わない恋愛って、つまんないなあと思う訳です。「あーこの人好きだなあ」って自分の感情が揺さぶられるような人と恋愛したり、セックスしたりするから楽しいんであって、自分の感情押し殺して、相手のことも考えずに物みたいに扱って、「恋愛工学」という手段がうまくいったという確認作業として、付き合ったりセックスしたりしてもつまんないよなあと思うので。感情を押し殺してセックスできるようになれって、換言すれば、サイコパスのススメ、以外の何物でもないと思う。

 

 すごく大胆に、感情を排して、自分の利益のみを合理的に追求できること、をサイコパスだとすると、恋愛ってその対極にあると思う。そもそも、恋愛ってコスパが悪いじゃないですか。読書会でも出てきたけど、恋愛ってそもそも必要ですか、コスパ悪くないですか、みたいな話が良くある。まあ、そりゃそうだよね、と思うし、橋本治自身も、そういう人には恋愛は必要ない、というだろう。恋愛は合理性とか効率性とか、そういう社会の外側にあるものだから、恋愛なわけで、恋愛に関してコスパなんていうこと自体がそもそもナンセンスなんだと思う。同じような理由で、実は「マッチングアプリ」も恋愛と相性悪いと思うんだけど、それはまた今度書こうと思います。

 

あと2回くらいで、恋愛論についてまとめられたらいいな・・・。

 

(了)

*1:橋本治恋愛論(完全版)』(イーストプレス、2014年)、25

*2:同書、29

*3:同書、31 

*4:同書、32

*5:同書、32-33

*6:同書、33。

*7:宮台真司二村ヒトシ『どうすれば愛し合えるの』(KKベストセラーズ、2017年)。

*8:橋本『恋愛論』、33